2016年7月2日土曜日

Preposition (前置詞)はイメージでとらえる

ADAMさんのワンポイント英会話 シリーズ1


久しぶりの投稿になりますね。

 今回は前置詞についてのワンポイントアドバイスです。

前置詞は、英語で"Preposition" ですね。

さて、英会話をする上で避けては通れないのが、このPREPOSITIONです。

I talked to my friend (     ) a phone.

on?......なのか、         with?...でも良さげ?         それとも.....by?

I went (       ) my paper work before the office hour.

to?  かな、  on?   かな.....

英会話で頻繁に出てくる前置詞(Preposition)は、イメージで捉えてください。

では、すぐに使ってみましょう。 


Exercise about basic prepositions

2016年3月17日木曜日

繋げる


繋げる仕事



通訳翻訳は、人と人を繋げる。

ビジネスとビジネスを繋げる。

国と国を繋げる。B to B  or  B to C、

双方のビジネスモデルが成立するお手伝いをすることで

成立するビジネスです。そこに一切の私情や思惑は介入出来ません。

もちろん、守秘義務があり、約束期日があり、専門性の高い知識を要求されます。

承った内容については一切公表は出来ません。スピード感が大切ですし、

常に新しいことへの好奇心、向学心、モーチベーション保てなければなりません。

その副産物として、あらゆるジャンルの実際に起きている最前線のことが、

手に取るようにわかります。今何が起きているのかが 生の情報として入ってきます。

そして、広い知識を要する仕事です。多種多様な事柄に興味を持ち知識や経験値として

溜め込んでいるいわゆる ”引き出しの多い人” で表現力が豊かな人が

より質の高いサービスの提供が可能になる仕事です。


自身のもつビジネス経験、失敗経験、人生経験、成功体験など、経験は蓄積した

知識の裏付けとなり、訳語や選択語彙により説得力が付加されます。

社長業もいわば、繋げる仕事です。人と人、会社と会社、社会と会社、

繋げる仕事に魅力を感じています。 自身の強みを生かし、会社の強みを生かし、

この繋げる仕事の魅力をさらに発信してまいります。








2016年2月15日月曜日

21世紀は格差社会⁉︎


いつもお気に入りの書籍と

オーディオ書籍はセットで

購入します。

とくに読む時間が取れない時は

移動中にオーディオ書籍を聴き、

内容を把握し、

時間が出来た時に

じっくる本に興じるようにしています。




ところで…

ちょっと流行遅れですが...

このピケティの21世紀の資本論

(英語版)

繰り返し同じ理論を

反復しています。

21世紀は…

”富の集中と格差社会の拡大”

歴史的背景として、

かつて、

ルイ王朝 下での超格差社会が

フランス革命勃発

結末は血の革命

一方

アメリカ型資本主義は

フランスをはじめEU諸国、

日本といった

他の資本主義の国々の事情とは

相容れない独自性があると

明確に一線を引いています。

確かに

Google、Facebook、Amazon、

Apple、Tesla、

などといった30年前には

存在すらしていなかった

振興企業がマクロ経済に

影響を及ぼしています。

そして、

人々の価値観に

多大な影響しています。

また、

IBM、 GM、 GE、 Microsoft 、Ford、

など

資本は集中の一途

いずれも.....

すべてアメリカの企業です。

フランス人経済学者の視点から

新時代の予想不可能な

経済動向を論じている......

仏語の英訳版なので

外国人にも比較的読みやすい

英文です。

その本の厚さに身構えせずに

ご興味のある方は

是非一読してみてください。

枕もとに一冊おいて、

どーしても眠れない時に

オススメの一冊です。

すぐ寝れます。(笑)















2015年5月26日火曜日

カルチャーショックレスな時代


第2話

『HUG』

高校3年の夏・・・

僕は毎日部活動に明け暮れていた。

当時男子バレー部に入っていた僕は、

毎日が体育館と自宅の往復で

その合間に授業がある・・・そんな

学校生活を送っていた。

そんな夏のある日それは起きた。

学校の体育館の前で

監督と話を終えキャプテンだった

僕は練習メニューを握りしめ

体育教官室から一礼をし出てくると

見覚えのある顔の女の子が

こっちを見てニコリと

微笑んだかと思った瞬間・・・

僕に走りよって来てぎゅっと

汗臭い 僕を抱きしめた・・・

ギュ〜!

ギョッ! 当時まだ17歳の僕は

女性にしかも

かなり積極的に

抱きしめられた経験などなく

何が起こったのか訳もわからず、

ただ今起っていることを

気持ちよりも先に体が受けと止め、

棒のように突っ立ったまま、

抱きしめてきた彼女の顔をまじまじと

見つめると・・・

(もしかして・・・)

そこには満面の笑顔で僕を見つめる

彼女がいた。

と次の瞬間、

「グットゥースィーユーアゲイン!」

と叫びながら

僕の頬に彼女の頬を

くっつけてきたので・・・

(なんだ、俺に気があったんだ…)

しかし、それは

最近では日本人もよくする「HUG」で

頬と頬をつける行為も

家族や親しい友人などへの
挨拶的スキンシップだった。

とんだ勘違いだった・・・

高校性で部活動しかしていなかった僕には

「HUG」は

とてつもない

カルチャーショックだった。


〜1年前〜


高校1年の時

彼女とは

クラスが一緒で

進級を待たずに

お父さんの仕事の都合で

カナダへ引っ越してしまった。

ちょっとボーイッシュで背が高く

姿勢がいつもよく、落ち着いていて、

時にはっきりものを言う、

はっきりした言動で、

弓道部にいた凛とした彼女に

淡い憧れに近い思いを寄せていた

僕は彼女が海外、

しかも

遥か遠くの

カナダへ引っ越すと聞いて

なんとも言い難い胸の内と

(恋心というか憧れに近い…)

未知の世界へいってしまう

彼女に対して羨ましいというか…

嫉妬心の入り混じった気持ちがあったのかな。

一体このカナダでの一年間で

彼女に何があったのだろう・・・

さらに僕の外国への好奇心は強まった。

彼女はその後高校卒業後

帰国子女が多く通う某有名私立大学へ
進学していった。

それ以来彼女とは会っていない・・・






2015年5月21日木曜日

カルチャーショックレスな時代


第1話 『坂の向こう』


僕が初めてカルチャーショックなるものを経験したのは、

5歳くらいの頃。

今の私の娘と同じ年だ。

場所は地元にあった米軍基地。
(実際の当時のゲート 昭和40年頃)

この米軍基地は昭和20年から昭和53年まで

約30余年間ここのあり続けた。

覚えているのは、

母親から「坂の向うには基地があるから、あの坂の向こうへはいっちゃだめよ。」

と言われ続け、”何故いっちゃだめ” なのかは言われた記憶がない。

おそらく”なんで?” と聞いたのだろうけど、

聞いたところで子供ごころに理解できるわけがない。

ただ、そう言われれば、好奇心の塊だった子供ごころに行きたくなるわけで。


〜中略〜


当時、僕は父がはいっていた某奉仕団体Lクラブ主催の

毎年恒例のクリスマス家族会に毎年家族で出かけるのを楽しみにしていた。

会場は米軍基地に隣接していたステーキハウス、

地元では名の知れた高級レストランで

なかなか庶民が日常出入りできる場所というイメージはなかった。

実際、庶民はめったに出入りできなかった。

当時は米軍将校のクラブとしての機能も

あったらしい。

そのクリスマス家族会にはたくさんのLクラブ会員の家族たちが集っていた。

当然、子供達もたくさんいた。

レストランの入り口には大きなクリスマスツリーしかも生木のツリーが飾ってあり、
(イメージ)
子供ごころにクリスマスには大きなツリーを飾るという習慣は

ここで印象付けられたんだと今振り返ると思う。

このレストランのすぐ隣が広い公園となっている。

その公園の横を通る道を隔てて基地がる。

そこの公園は当時ハイドパークと言われており、

駐留する米軍将校達とその家族の居住区となっていた。

今でも鮮明に覚えているのは、

パーク内に木造の大きな白い家が何棟も建っていて、

そこには明らかに僕とは違う人たちが住んでいたということ。

何故そうなのか...?は、

当時の僕には知る由もなく。

ただそこに行けば、肌の色が違う、わけの判らない言葉を発する人たちが

とてつもなく広い敷地のなかの大きな家に住んでいるということだけは確かだった。

パーティー会場を出て外でパーティーで一緒だった友達と遊んでいると

隣の公園で年は同じ頃の僕らと見た目が違う子供達が遊んでいるのが目に入り、
(イメージ)

好奇心旺盛だった僕は気になって仕方がない。

遊んでいる内容も違うし、もっているおもちゃがこれまた見たことが

ないような面白そうなおもちゃだった。

子供ごころにショックだった。

何故、あの子達は肌の色が違い、話している言葉も違い、

あんな大きな家に住み、広い芝生でのびのびと遊んでいるのだろう!?

子供ごころにそんな疑問がよぎった。

あのおもちゃ貸して欲しいな...

そんな軽い気持ちで、

一緒にあそんでいたクリスマス会で一緒だった日本の子供達から離れ

一人そこの芝生に足を踏み入れ、

遊んでいる肌の 色が違う子供達の輪の中へ割ってはいっていった。

どうやっていったかは記憶が定かではないので、書けないけど、

覚えているイメージは白人の男の子に芝生の上で抑えつけられ、

何かわけのわからない言葉でわーわー何かを言われている

映像が脳の中で遠い昔の記憶として

残っているだけだ。

おもちゃを借りようとしたのか、言葉が通じず、実力行使で奪った結果、

力づくで押さえつけられてしまい、わーわー文句を言われていたのか....

何を言われたいたのかなぞ、思い出せるわけもなく、その場面は閉じる。

これが生まれて初めて外国人とのエンカウント(遭遇)だった。

いわば、"Final Encounter With Third Kind"だった。
(邦名:映画「未知との遭遇」)

つまり、僕が生まれて初めて出会った外国籍の人は

米国人でしかも子供、

決してフレンドリーな出会いではなかったようだ。

もちろん、のちに一緒に遊んだ記憶もある。

でもその内容は....

戦争ごっこ。

日米戦争ごっこだ。

かなり本気でやっていたことを覚えている。

でも...

その当時、僕らは何故一緒に遊べる環境にあったのか知らなかった。

言葉が通じないのに一緒に遊べる。

子供はすごい。

当時はアメリカ人が外国文化に触れる背景には必ず

戦争があった。

この頃、敗戦国の子供というアイデンティティーを僕は知らなかった。

ただ単に肌の色、言葉、問わず、そこに子供が集まればどうにか遊ぶ。

それがごく自然なことだった。

それから基地が変換される1953年(昭和53年)迄

僕はよく坂の向こうへ出かけて行った。

基地が日本政府に返還された時、

僕は10歳になっていた。

終戦を迎えた年、1945年(昭和20年)

私の父は10歳の少年だった。

その間33年、ここにはアメリカがあった。

そして、戦後70年たった今もなお日本には米軍基地がある。

もうすっかり、かつて熾烈な戦争をしていたなんてことは歴史上のこととして

近現代史の1ページになってしまった。



















2015年5月15日金曜日

大切なのは ”思い” です。


地元で若手経営者向けに”生きた英語”を体験習得していただく活動を始めて

2年が経過し、3年目を迎えます。

ロールプレーイングを取り入れた実践的な会話中心の楽しいイングリッシュ体験、


活動内容は、FACEBOOK 等でご紹介させていただいております


言葉は相手を理解し、自身の”思い”を伝えるための手段、

大切なのことは”思い”です。 



”モーチベーションとは始めるきっかけ、

ハビットは継続する力”



2015年5月13日水曜日

視座

私は常に視座を意識しています。

私は良しにつけ悪しきにつけ、

思い込みが強い傾向があり、

それを緩和するためにも

余計に意識しています。

視座を決めれば、

視界が開け、

同じ視点であっても、

違う角度から見つめ直すことが出来ます。

これはあくまでも私個人的ですが、

社長業&通訳翻訳業、

または父親として

何れも、

何処に視座を決めるかで

見えるものが変わってきます。

視座の位置を間違えれば、

視野が狭くなったり、広過ぎて

論点がぼやけてしまい、

社長業では判断を誤り、

通訳翻訳業では誤訳や語彙選択

を誤るリスクが発生します。

そして、おそらく親として子供の

気持ちに気が付かず…

親子で心の通い合う関係が築けなくなってしまう……(´・_・`)

そんなリスクが生じてしまうと思うのです。

だから、常に視座を意識しています。

ただし、間違えに気付いた時点で、

視座を変えてみる。

もしかしたら、みている世界(マップ)そのものが違うかもしれなんです。

でも、視野が狭いとそのことにすら気がつくことができない…(´・_・`)

そんな失敗を何度も重ねながら、

視座を自由自在に何処にでも

おけるようになりたいものです。(^_-)

【参考文献】